2014年3月30日日曜日

自分が人生を作っているのがよくわかる映画・後編

自分が人生を作っているのがよくわかる映画・前編の続きです。

ここから書くことがようやくタイトルに添ってます。注ネタバレあります

この映画は、主人公セルマ(ビョーク)が
自分で自分の人生をカタチづくり、
すべて、彼女が望んだとおりの結果となっている

という、宇宙の仕組みがよくわかる作品です。
こういう主人公を書けるラース・フォン・トリアーはほんとすごい。
(しまった、また監督賛美)

具体的には、
彼女は自分が幸せになることを、頑ななまでに自分に許していない
セルマを愛する人の気持ちや、彼女を救おうとする人たちの手助けを、
受け取ろうとしない。
私は、お情けなど必要ない、という風情。
自分の子供のことを信頼できない、信頼する気がない。
誰にも心を開けない。
誰のことも信じられない。
誰にも助けを請いたくない。

頑固すぎる
空想・妄想の中でしか生きられない。
地に足がついていない。
常に絶望の中で生きている。
彼女は、いつも自分の絶望の中に住んでいる、と思いました。


息子のために汗水たらして働くわけですが、
映画では息子へのフォーカスが少ないです。
映画が進むうちに、なぜそうなのかわかります。

彼女にとっては、現実の、目の前にいる息子よりも、
自分の中に住んでいる息子が重要だからです。
悲しい現実が訪れることへの絶望や、
父親がいない、親友が男に殺された(定かではないです)など、
悲劇的なことも多かったのだと思うけど、
(映画では過去は書かれていない)

未来への希望がまるでなく、
周りの人たちの自分への愛をほとんど受け入れず、
愛する息子のことさえ信じられない。

頑固さを捨てれば、人を信頼することができれば、
救われたかもしれない場面が数多く出てきました。



これ以上、私には見たいものはない。
私はもう、すべてを見た。

と思って生きているのです。

だから、あの結末になるんですよね。
すべて、自分が思ったとおりに事が運んでいて、筋が通っています。



私は映画の結末を知った上で観ました。
結末を知っていたから、14年もの間観ようとも思わなかったのですが、
昨日観て、一番最後のシーンのビョークを見て、
彼女が妄想から抜け出し、ようやく現実に戻っていく姿を見て、歌を聴いて、
なんて素晴らしい最期で、なんて清々しく美しい顔だろう、と思いました。


正直な話、万人には薦めませんが、
思考が現実を形作っていることを知るには
ほんとうに良くできた映画だと思います。

死刑制度がある国でしかこの映画が成り立たない、
でも監督は飛行機ギライでアメリカには飛べない。
だから、むりやりヨーロッパ(スウェーデンかな?)
でアメリカ物語を撮っています!
カトリーヌ・ドヌーブの英語もめずらしい!!


あ、ラース・フォン・トリアー作品をもっと観たいか?
というと、これまた話は別。という感じです・笑

※すべて主観で書いています。


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