2014年4月1日火曜日

自分のフィルターを通して他人を見ている


昨日、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』について、
私が観て思ったことを書きました。

自分が人生を作っているのがよくわかる映画・前編
自分が人生を作っているのがよくわかる映画・後編



私が最初に主人公セルマに違和感を持ったのは、愛する息子が、
事実(手術しなければいずれ盲目になる)を知ってしまったら、
手術が上手くいかないだけでなく、
傷ついて一生立ち直れない と決めつけている部分でした。
(まだ映画の感想が続いています・笑)

息子が、目を治す手術の前に、
精神的なダメージを受けることが一番良くないというのはもっともだし、
私はありがたいことに普通に目が見えているので、
普段は、見えなくなることへの恐怖を感じることがなく、
想像することしかできません。

でもやっぱり、セルマは自分を通して息子を見てるんですよね。
自分には希望はなく、もうすでにほとんど見えていないし、
見たいものもないし、すべて見たと思っている。
本心かどうかは別として。



明日への希望がなく、自分を信じる感覚などもなく、
絶望の中で生きていて、すべてをあきらめているので、
自分の子供も自分と同じようにしか見られないのだと思いました。


息子はきっとこの病気に負けてしまう
精神的に耐えられないに違いない
だから、彼を世間の目から、病気から守らなくてはいけない


映画でくわしく描かれているわけではありません。
私がそう思ったという話です。


私も自分フィルターを通して人や世間を見ています。
それがNGだとは思わない。

でも、自分の望みや好きなこと、キライなこと、
やりたくないこと、いろんなことを、全部認めて、
どんな自分でもいいよーってなれば、
自分フィルターも自由自在になるんじゃないの?
どうなのかしら、と思いました。


いやーほんと、いろんなことを考えさせてくれる映画です。笑



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