>>自分で自分を救うきっかけをくれた同僚①
>>自分で自分を救うきっかけをくれた同僚② の続きです。
いやー、自分で②を振り返って読んでね、
どんだけ上から目線だ自分( ̄□ ̄;)
と呆れました。
その元同僚に対してね。
ほんと傲慢ですよね。
でもまあそれはそれで置いておいて、
当時の私の気づきを書いていきます。
まったく話が通じない同僚と、日々やりとりを繰り返すうちに、
ストレスがどんどん溜まってきました。
話が通じないとはどんな感じなのか。
書きたいのですが、いまではほとんど浮かびません。
これは別の同僚が彼女について言っていたことですが・・・
食べ物の話で、タンパク質が、ビタミンが、と話していたら、
「タンパク質ってなに?私そういうむずかしいことわからなくて」
と言ったと。
また、のだめカンタービレが流行っていた時で、
彼女はピアノを一度も習ったことがないのに、
いきなりグランドピアノを買って、
ピアノの先生に、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を
簡単バージョンにした楽譜で習っていたんだけど、
ぜんぜんできなくてもうやめたと。
そして、ピアノのローンを払うのに、今一生懸命で、
仕事やめられない、と言ってましたね、そういえば・・・・・・・・
このエピソードだけじゃわかりにくいかな・・・・
まあとにかく私にとっては斬新でした。すべてが。
そんな彼女とのやりとりは、
常識を重んじる自分にとっては(※ココもポイントですねぇ・・・( °д°))
とてもやりづらい、苦しい苦しいものでした。
でも前回書いたように、当時は
「隣人を愛す」ことに必死でした。
だから、その、どうしても合わない同僚を、
受け入れようと努力するのです。
せっかくうちのチームに来てくれて、仕事はきちんとやってくれる。
だから、彼女のもっと良い部分を見つけて、大事にしよう。
だって、隣人って愛さないとダメなんでしょ?
彼女を受け入れることが私にとっての修行だよね。
うん、ココを乗り越えればきっといいことあるはず。
たぶん、こんなかんじでした。
世間的にはこうしなきゃダメだよね?
人間として、それが当たり前だよね??
ずっとずっと自分の内側の声を無視し続けました。
私はこの人とは合わないし、好きじゃない、という本心には目もくれず、
それをまったく認めず、(今思えば)意味のない修業の道を歩みました。
だって当時はそこに意味があると思ってたから。
毎日家に帰って、同僚とのその日のやりとりを思い出しては
苦しくて悔しくて心が潰れそうでした。
そんな状況を、もう思い出せないのですが2年弱?も続けてしまい、
決定的な出来事(内容は覚えてません)があり、
もう無理だ、となったときに、
3日間、会社に行けませんでした。
※毎朝、休むと連絡はしています。
クリックしてくださるととてもうれしいです