2014年4月11日金曜日

自分で自分を救うきっかけをくれた同僚④

>>自分で自分を救うきっかけをくれた同僚①
>>自分で自分を救うきっかけをくれた同僚②
>>自分で自分を救うきっかけをくれた同僚③ の続きです。


前回の記事で、こう書いていました。
毎日家に帰って、同僚とのその日のやりとりを思い出しては
苦しくて悔しくて心が潰れそうでした。



この頃の私がずっとやっていたのは、自分責めです。

なぜ、この人を認められないのだろう。
なぜ、この人を好きになれないのだろう。

その困った同僚を、好きになれない自分を
ずっとずっと責めて、責め立てていました。

だから毎日苦しかったです。

思えばそのころ、歯医者に行くと、奥歯が削れてると知らされ、

夜中に歯ぎしりしてますよたぶん、と言われました。

ストレスから来てますよね。間違いないなく。



限界が来て、会社を3日も休んだら、上司から連絡がきました。
「なにかありましたか?もしよければ相談してください」

そこで、次の日出社して、
「実は○○さんと合わないので、仕事を一緒にやるのがつらいです。」
と全部話したら、

「もっと早く言ってくれればよかったのに。
そんなに我慢しなくてよかったのに。
今日から、一緒に仕事しなくていいようにするから。」
と上司は言ってくれました。

「それにしても、そんなふうに思ってたなんて
まったく気づかなかったよ。」
とも言ってました。

あのときの上司には本当に感謝しています。


ひとまず、仕事で完全に切り離してもらったので、
だいぶ楽になりました。
(まだ話は続く笑)


このシリーズで何度か書いた、「隣人を愛す」、この理解が間違っていたことが、その頃にわかりました。

わたしは、この聖書の言葉を、部分的にしか読んでいませんでした。
(聖書にも宗教にも疎いので)

本当は、

汝、自分を愛するように隣人を愛せよ
なんですよね。

自分を愛するように、隣人を愛しなさい
※ほんとうの意味がこれで正しいかはわかりません
これを知ったときに、
「あ、私はぜんぜん自分を愛せてない。

自分の感情をすべて無視して、誰かを愛そうとしていた。
それって、ぜんぜん「隣人を愛せよ」の意図することと違う。

まず、誰よりも先に、自分を大事にすること、
自分を愛することができていなければ、
他の誰かを愛することはできない。

自分を扱うようにしか、他人を扱うことはできない。
自分を大事にしていないから、
同じように他人を大事にすることができないんだ。
ということがわかりました。

長くなっちゃったなぁ
続く

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