2013年6月20日木曜日

葛藤を味わうこと


以下は、Lulu spaces Jimdoブログからの転載です。

いろんな心の葛藤がありますよね。誰にでも。
本当はあれがやりたいけど○○(お金や時間や人脈、チャンス、勇気etc)がないからできない。この人のこと好きじゃないんだけど、○○な関係上しかたなく付き合っている。楽しくないのに笑わなくてはいけなくていやになる。もっと自分の使命を生きたいんだけど、使命が何かいまだにわからないし、いつまでも自分のことが見えてこない。

私には想像がつかないほど大変な状況にいて、手も足も出ない方もいらっしゃるかもしれない。だからのこの程度のことくらいなんとかできる。とにかく葛藤を抜け出したいがためにいろんな本を読んで勉強したり、誰かに相談したり、セラピストに話を聞いてもらったり。葛藤する自分を認められない、キライ、許せない、だから早く抜け出したい・・・ 

私もよく経験しました(今後もまた新しい葛藤が出てくると思うけど)。
私の場合、ほとんど人間関係でした。キライな人なのに、誰かを嫌うなんてよくない、「隣人を愛せよ」だから頑張って隣人を労わろう、とその対象の人物のいいところをたくさんあげて、自分の気持ちを無視するようなこと、しょっちゅうしていました。何度も何度も同じようなシチュエーションを繰り返して、ある時ようやく「隣人を愛せよ」の全文を知りました。


「汝の隣人を愛せよ」と勘違いしていた全文は「汝自身を愛するように、汝の隣人を愛せよ」でした。宗教・キリスト教・聖書に詳しくないので、そのとき初めて知りました。それは自分で気づいたというより上から気づかされた感じ。
私は汝自身を全然愛していませんでした。私の気持ち、ハートからの叫びを、気づいていたにもかかわらず、いつも無視していました。それよりも、人間ってこうあるべきなんじゃないの?人として、人の道って… 思えば無私の時期が長かったです。

私は数秘で9をたくさん持っているので(自分を現す背番号と言われている生まれ日も足すと9になるし、ライフレッスンというこれからの人生に達成したいことや学びも9だし、他にも9がよく出てくるのです。)余計にそうなりやすかったんだと思います。9の特徴は簡単に書くと利他的、無執着、慈悲、思いやり、感情移入・・・などなどです。

聖書の一文のうちの、全文を知って、聖書が云わんとしていた本当の意味は分かりませんよ、でも、私がそれを知ったとき、37年間(当時)生きてきて一番感動し、心全部で納得しました。そして自分自身に初めて「今まで思ったこともなかったけど、あなたはよく頑張ってきたよ。とてもとても愛しています。いつも、いつも本当にありがとう」と心から感謝しました。


みんなそれぞれが、その時々で、数々の葛藤を味わっている。葛藤を乗り越えたり、見て見ないみない振りをしたり、辛くて動けなかったりと、いろんな状況があると思います。
みんなきっと一生懸命生きています。私は努力していないとか、もっと頑張れるとか思ったとしても、それでもその瞬間はその時できる最善の状態で生きてるんだと思います。葛藤を味わうことは、人間として三次元に生きている上での楽しみなのかな。そんなこと、葛藤している最中にはまったくとして思えないけど、苦しいだけだし誰かに代わってほしいと思うし理解してもらいたいし悲しくてつらくて死にそうだよ!! とも思うんだけど、一部始終が終わってみると、あの経験のおかげで今の自分があるんだなぁと思えるのです。そんなことばかりなのです。あのつらかった経験は、あの時の私に必要なことだったんだなぁと、しみじみと思うのです。

だからすべてのことに感謝できるのです。良かった良かった。

ちなみに今の私の葛藤は、手元にあるおせんべいやクッキーを、一枚で止められるのか自分!てところです。たいていは無理です。笑



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